言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

根本。

全ての根本にあるのはなにか。

選ぶのも、決めるのも、生き方も、人生も感性も。

全ての根本にあるのは自分しかないだろ。

だから、どんなことが起きても人の所為にはしちゃいけない。

どんな時でも、自分の責任で自分は動いている。

成功も失敗も根本的には自分のおかげか責任。

そういう時に、失敗したからといって、人の所為にしてはいけない。

自分に足りないところがあったんだなって、潔く認める人になりたい。

それを蒸し返すかのように、人に責任を擦り付けるような醜い行動は避けよう。

恰好よく在りたいなら、こういうところをしっかりしないと。

まず反省すべきは自分。

良いことも悪いことも、自分が選んで決めたことだろう。

まずは自分に恥じない自分を作るのが、カッコよく生きる為の必須条件。

それを勘違いして、上辺だけのカッコよさを求めると、周りから非難される。

自分に恥じない自分を作って、周りの人に認めてもらう。

最高の形はこれだ。

嫌なこと。

自分がされて嫌なことは人にはしない。

昔からよく言われて来た言葉だろう。

ほとんどの人が、一回は言われたことがあるのではないだろうか。

こういう言葉は、自分が今からしようとしている行動を抑制しようとする。

本当にその行動は大丈夫か、本当にその言葉を言って大丈夫かと。

自分がやられたら嫌だということは、相手もこれをやられたら嫌じゃないか。

勿論、例外もある。

自分は別にされても嫌じゃないけど、相手はされると嫌なこと。

それは、認識の低さか、好き嫌いの話。

いじめは典型的に誰もされたくないことだろう。

でも、いじめは絶対になくならない。

いじめをする人は認識が低い。

いじめられるのが嫌じゃない人なんていない。

それでも、してしまうのは相手の気持ちと、自分に降り掛かった時の認識が低いから。

自分がされて嫌なことはなんて、いじめている時は誰も考えない。

その言葉で抑制が出来ない人もいるってこと。

相手の気持ちを理解するのは、大人、子ども関係なしに難問すぎる。

それでも、こういった有名なほとんどの人に伝えられる言葉で、理解する機会を作る。

そういった言葉ってのは結局機会を与えるもの。

それを無視して人の嫌がることをするか、その機会を活かして、しっかり考えて行動できるか。

伝えるしかないそういう言葉を。

出来るだけ無視する人を少数派にするには、伝えるしかない。

それが出来るのが、人と人との繋がりというやつだろ。

そういう繋がりを持てないと、いずれ。

裏。

裏を理解しときたい。

表と裏。

表裏一体なんていう。

表か裏か。

好きが表なら、裏は嫌い。

得意が表なら、裏は苦手。

成功が表なら、裏は失敗。

これはほとんどの人が知っていることだろう。

裏は確かにそういうことをいうのかもしれない。

でも、嫌いじゃなくなったとしても、好きになったわけじゃない。

苦手じゃなくなったとしても、得意になったわけじゃない。

失敗したことを直せば、次が成功するというわけじゃない。

表と裏だけ見ていても駄目なんだ。

表から裏、裏から表に行こうとする時、どっちつかずのところに辿り着く。

人は思い込む。

失敗しなければ成功だと。

それは本当に成功なのか。

まだ何とも言えない状態じゃないのか。

そのどっちつかずのとこに辿り着いて、また一からスタート。

そこからどうやって成功に近づけるか。

そのルートを理解しないと。

表と裏だけだと思い込むと、一生、成功には辿り着けない。

まずはスタートラインに辿り着かないと、始まりすらしない。

下にはスタートラインが引いてあるか確認してみよう。

調子。

調子が良い時がある。

調子が悪い時がある。

人には調子が存在するのはみんなも感じているだろう。

何をしても上手くいって身体が軽く感じる時、何をしても成功しそうな時。

何をしても上手くいかず身体も重く感じる時、何をしても失敗しそうな時。

そういう波は人なら必ず起きる。

それが調子。

多くの経験をしていくと、今自分がどっちの調子か分かるようになってくる。

その中で、どっちの調子でもない時がある。

つまり、それがいつもの調子ってこと。

上手くいく気もするし、失敗しそうな感じもする時。

それがいつもの調子。

いつもの調子を保つ。

それが一番楽で、動きやすい。

調子は色々なことに左右される。

それを自分の意志で揺れ動かないようにしていく。

それを続けていけば調子は良い方向に保てる。

まずはなるべく自分の調子を揺らさない。

そのためには、自分の今の調子を明確に知ること。

それさえ出来れば、いずれいつもの調子で少し良い方向の調子に保っていられる。

難問。

難問を突き付けられた時、人はどうするか。

年を取っていけば、どこかのタイミングで人は難問にぶつかる。

それが1回か10回か、それともそれ以上か。

それは勿論人それぞれに数が違う。

難問ってどういうものか。

それは自分一人で考えても、答えがなかなか出てこないもの。

そういう時、自分に自信がある人ほど難問にハマる。

難問にぶつかった時、頼るべきは自分ではなく気の許せる人。

自分が解けないからって、他の人も解けないってわけではない。

そういう難問こそ、他人に頼るしかない。

自分で解決するのは素晴らしいこと、でも限界はある。

素直に頼れば難問は解けるはず。

背負う必要はない。

難しい問題なら、みんなで協力して解いてしまえばいい。

そういうことに多くの人で取り組むと、結束も深まる。

その難問を毛嫌いする必要はない。

より人といい関係を築くためのチャンスになる。

みんなで知恵を絞って難問を解いた時の喜びは大きい。

難問にぶつかった時は、気楽に他の人に相談しよう。

与えられるもの。

人から与えられるだけの人。

自分は人から頼まれたものだけをする。

与えられてばかりでダメだなって思わない。

与えられるのは何も恥ずかしいことではない。

与えられたことを何も考えずにこなすだけは良くない。

与えられることに感謝。

そして、それを活かせるようにすればいい。

与えられたのはチャンス。

そのチャンスを見す見す逃すか、活かすのかは気持ちの持ち方。

まずは与えられるのを受け入れる。

そっから始まる。

小さなチャンスは、他人から与えられるもの。

それを、他人からの押し付けと思った時点で、チャンスは通り過ぎていく。

チャンスを得たければ、他人から与えられたものに縋る。

それさえ出来れば、人は成功する仕組みになっている。

双六。

 人生は双六感覚で考えよう。

サイコロを振れば進む。

自分の意志とは関係なしに人生は過ぎていく。

自分の番が来たら、サイコロを振って進む。

その出た目によってたどり着く場所が変わる。

言わば、結果はサイコロを振った時点で決まるってこと。

難しく考えたって意味がない。

振り終えたら、後はルールに乗っ取って進むだけ。

そして、いずれかゴールが訪れる。

でも、双六と人生では一つだけ違うところがある。

それは、ゴール直前とかで振り出しに戻らないってことだけ。

それ以外は双六も人生も一緒。

賽を振って進むそれの繰り返し。

心が折れてはいけない。

ひたすらに振って自分の双六を楽しんでいくしかない。

初めてする双六ではどんなことが起こるか分からない。

人生も進んでみないと何が起こるか分からない。

楽しいだろう。

賽は投げられた。

自分の手で振って一歩進んでみよう。