言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

文句。

文句を言ってしまう。

文句を言うことは、別に悪いことではない。

自分の感情を表に出すのは当たり前。

でも、どこでも、何でもかんでも文句を言えばいいってわけじゃない。

文句を言うのは自由だろって言う人がいる。

そんなわけないだろ。

文句を言うのは自由じゃない。

それは人としての価値を下げる。

それすらも自由だろって言う人がいるかもしれない。

そういう考え方は、周りの人に影響を与える。

勿論、悪い影響を。

それは自由なんかにしては駄目出し、そんな権利は人にはない。

文句を言ったら、誰かしらが嫌な思いをする。

それを一度考えてから、文句ってのは言わないといけない。

それだけ文句を言うことには責任がある。

何気なしに文句を言うのはやめよう。

それは人としての自由とは何ら関係ない。

努力家。

努力をする人は素晴らしい。

努力をすることは当たり前だ。

努力ってのは誰かに見てほしいわけではない。

努力は自分との闘いだ。

努力を怠る人は成功しない。

努力の先に成功がある。

努力している人は笑われない。

努力ってのは、何となく便利な言葉だ。

自分が少し頑張ってれば努力なのか。

他人から、あの人努力してるなって言われたり、見られたりしたらそうなのか。

努力ってのは、大抵その度合いは自分で決める。

自分が努力したってのは、誰が何と言おうと努力なのだ。

逆に、自分は普通なことをしているだけなのに、他人から努力をしていると思われても関係ない。

そこに、自分があるかどうかで、努力したのかどうかは変わってくる。

客観的な。

前を見ると、自分から見える景色が広がる。

でも、それだけでは足りない。

何が足りないって、自分が見えない。

だから、客観的な物ってのは大切なんだ。

客観的なことは他人ばかり頼りにするだけではない。

自分を客観的に見えるようにするのが必要。

自分の背中、横から見た感じ。

自分はでは前しか見えない。

それは視界の話。

でも、見るってのは何も視界だけのことではない。

自分を後ろから見るような感覚が必要だ。

そこから、見えてこなかった情報が出てくる。

それは自分が前だけ見て得る情報とも、他人が客観的に見た情報とも違う。

その情報を知るかどうかで、人生の行き先の見え方は違ってくる。

信じる者。

何々信者っていうと、今の世の中だと悪い意味で捉えられる。

その人を信じる人。

その人に魅力を感じて、その人がやることに興味がある。

信じるって言うことを悪いことのイメージをつけるのは良くない。

人を信じれなくなったら終わりだ。

疑いもせず、考えもなしに信じろとは言わない。

でも、自分で考えて、その人は信じれる人だと認識したのなら、大いに信じるべきだ。

幼いころは信じることの大切さを教わるのに、大人になるにつれ、その信じることが

何かしらの足枷になるのはダメだろう。

確かに、信じすぎるあまり、盲目になってしまう人もいる。

その人の悪い部分は見ずに、良いところだけを信じる。

それを、自分が理解していればいい。

でも、多くの人は盲目になり、そういうことから目を背ける。

それは人を信じるということではない。

もっと信じることの本当の意味を理解しないと、関係は崩れる。

応援。

応援されて悪い気持ちになる人なんてない。

少し恥ずかしいという気持ちになる人もいるかもしれない。

応援されれば、ほとんどの人がいい気持ちになる。

そして、応援の声援が聞こえると人は力を出せる。

それぐらい応援ってのには力がある。

他にも、その頑張っている人と同じ気持ち、同じ雰囲気を味わうのにも応援は大切。

もし、応援にそんな力がないって思っている人がいるかもしれない。

でも、それを例を挙げれば甲子園の応援を見て言えるのか。

あれだけ熱い中で、自分がプレーしていないのに大声で応援する。

それは選手たちに届いている。

そこに感動も生まれる。

それを見て、感動する人もいる。

その歓声、応援に応えようとするのは、人として自然なこと。

誰かが頑張っているのも見ると、自分も頑張りたくなる。

頑張ってプレーしている人を見て、頑張って応援する。

頑張って応援している人を見て、頑張ってプレーする。

応援ってのは相乗効果がある。

自分も誰かを応援しよう。

そうすれば、誰かも自分を応援してくれる。

誰かに応援されたなら、自分も誰かを応援しよう。 

どうやっても。

どうやっても上手くいかない時がある。

それは流れであったり、運であったり、調子であったり。

どれだけ頑張るという意志があっても上手くいかない時がある。

そこで、あることに関していかにモチベーションを保てるか。

そこでの挫折で、もう楽しめない。

もうやる気がない。

そんな気分になるときは人ならある。

でも、一度そういう時を経験して、いかにして立ち直れるか。

そこで這い上がれれば楽しい時が待っている。

それを信じてやるしかないだろ。

それを信じれない時点で、どうやっても自分が損をする。

どこまで行ってもどうやっても上手くいくか上手くいかないかは、自分の信じ方次第。

綺麗ごとかもしれないが、それが事実で信じるべきことなんだ。 

分かること。

今だから分かることってのがある。

子どもの頃には分からなかったこと。

小学生になって分かること。

中学生になって分かること。

・・・大人になって分かること。

色々あると思う。

でも、それは本当にその時になってみないと分からない。

だから、大人は子どもにあれこれ言うけど、子どもはそれが何故か何の為か分からない。

それでも、そうやって伝えていくのは大人の役割ではある。

伝えて、成長した時にそれの意味が理解できればいい。

今変われるなら、それが一番いいけど全員が全員そういうわけにはいかない。

それが出来なくても、大人になるにつれて深く考えて行けばいい。

それが人が成長するというもの。

みんな分からない。

そこから、あの時のあれはって思う。

それが生きるってことなんだ。