右も左も。
右も左も分からない。
分からなくて、不安で、それでも進まなくちゃ行けなくて。
立ち止まったら、後ろから知らない何かに押される。
逃げようと思って、後ろを向いても誰かがこちらを睨んでいる。
逃げるなと。
だから、時にその怖さに挫けそうになる。
周りを見渡しても、自分で精一杯で誰も助けようとはしてくれない。
それ程までに人は孤独で、誰にも助けを求められない。
一人で不安なまま、暗い世界を壁伝いに行く。
でも、その壁も急になくなる。
そうすると、自分の居場所がどこだか分からなくなる。
道はあるはずなのに、どこを歩いても暗い。
前も後ろも、右も左も。
そうか、これが僕の人生なんだ。
誰も助けてはくれない。
ひたすらの暗闇が続いている。
光がどこからも入ってこない。
ヒビも入らない。
どんなに壁を叩こうとしても空振るだけ。
あ、そうか初めから壁なんてないのか。
暗いって思ってるだけで、目を開けていないだけだった。
そんなドジに、ちょっとの笑顔を見せ目を開く。
下を見れば道が引かれている。
前も後ろにも、右にも左にも。
自分は一人かと思ったら、前に背中だけ見える人がいる。
他の人も目を開いて、自分の道を確かめ歩いているのか。
その事実を知れただけで、勇気が沸いてくる。
さあ、自分の人生はこれからだろ。
傲慢。
人は傲慢な生き物だろう。
ほとんどの人が気付いているだろう。
勝手に想像して、見えないモノを信じて行動する。
自分だけだ。
周りのことなんておかまいなし。
あの人は傲慢だって、言っている人が傲慢じゃないことはほぼない。
その人が傲慢だと気付くなら、必ずどこかで自分も傲慢なことをしている。
傲慢なのはしょうがない。
よく言う、だって人間なんだから。
そういうことなんだ。
でも、傲慢だからと言って、表に出すのは控えよう。
傲慢なのは仕方ない。
だって人間なんだから。
それを、自分は傲慢じゃないと言い張るのはやめよう。
どうせ傲慢なんだ。
認めようではないか。
認めた上での行動が大事なんだよ。
傲慢を上手く隠す。
これが必要になってくる。
傲慢は嫌われる。
傲慢を上手く隠せる人は好かれる。
どっちがいい。
どんな人だって、嫌われるよりは好かれたいだろう。
上手く隠すために何が必要なのか。
それは自分の傲慢を認めるしかない。
認めれば、それを出さないように気を付ければいいだけだろう。
簡単だよ認めてしまえば。
贈り物。
ほとんどの人が、人に贈り物をしたことがあると思う。
贈り物はもらった方は勿論、贈った方も気持ちのいい凄く幸せなモノ。
ごくごく稀に例外もある。
全然いらないモノを貰ってしまう時、贈りたくないけど付き合いの為だというモノ。
それを除けば、贈り物ってのはお互いが幸せになれる。
お互いが幸せになれるモノってのは意外と少ない。
人に感謝するなんてのもそうかもしれない。
それでもごく僅かしかないないだろう。
贈り物ってのはそれだけ数少ない、お互いに幸せな気持ちになれる素晴らしいモノ。
そんな素晴らしいモノならやるしかないだろう。
しかも、~の日だとか、~デーと贈り物を送る機会ってのまで用意されてる。
その時に、日頃の感謝も一緒に贈り物をするなんて、最高に幸せだろう。
贈るのが恥ずかしいなんて人もいるだろう。
何を送ればいいのか悩む人をいるだろう。
でも、そういう人が一所懸命躊躇して、考えた末に渡す贈り物っては絶対喜ばれるだろう。
その恥ずかしさや、考え込んだ時間が多ければ多いほど、より濃い幸せが待ってる。
いっぱい悩んで選べばいい。
恥ずかしくて贈れなくてもいい。
いつかその感情や悩みを超えて贈れた時の喜びは、想像すれば分かるだろう。
最高な幸せって、そういう贈り物の中にあるのかもしれない。
贈り物って最高だよ。
どんだけ幸せな気持ちにさせてくれるのかって話。
機会あれば、悩んで恥ずかしがってもいいから渡してみよう。
成功。
あの人は成功すると言う人がいる。
そういう人はほとんど成功してから言う。
人の成功は他人には決められない。
他人が認めたモノが成功になる場合もある。
それでも成功かどうかは、やった自分にしか分からない。
周りから見たら、充分なモノであっても、自分の中では反省点が多いなんてこともあるだろう。
何々がないから絶対に成功できないってひとに言われても、
それは他の人の感性。
他に認められないと手に入らない成功なんてどうだ。
それは他人にも認められるってことは凄いことであるが、
それが全てではないだろう。
成功したかどうかなんて、結局は自分の気持ちの持ちよう。
どんどん成功を目指して行こう。
自分なんて、何も成功できないと思っていてはいけない。
自分でも何かしらの成功はすると思った方がいいだろう。
余裕だよ成功なんて。
無理せず。
無理は良くない。
無理せずに自分の出来ることを。
無理していいことなんて何もないだろう。
無理せず素直に物事を進めていこう。
無理しないといけない時なんて、短い人生の中でもそう多くはない。
多いと感じてしまう人は、本当は無理しなくてもいいところで無理しているから。
もう少し楽に考えよう。
本当のターニングポイントってのは、目に見えて分かりやすい。
そういうところでは、人は少し無理をする必要がある。
でも、そういうところだけだ。
そんなにそのポイントは多くない。
それさえ見極めれば、今よりも遥かに無理する必要はなくなる。
無理しなくていいなら、誰もがしたくないだろう。
無理の数は減らせる。
もっと楽に考えていこう。
短め。
人の集中ってのは、長くはもたない。
どれだけ集中してそうに見えても、時間が経てば集中力は切れる。
集中力ってのは短めに設定されている。
だから、やれるときにやっておく必要がある。
やろうと思った時にやってしまわないと、次にやろうとした時には集中力が切れてしまっている。
集中力を長く持たせるってのは、本当に難しいことである。
でも、集中力を高くすることは、自分の意識の持ちようである。
長く持たせるのは無理でも、高い集中力は発揮できる。
その高い集中力を、必要な時に引き出せるか。
その引き出し方は簡単で、自分は今凄く集中してると思い込む。
それだけ。
人なんて、思い込みが激しいモノなんだから、思い込んでしまえばいい。
思い込めないなら、その時点で集中なんてできない。
思い込んでしまえば勝ちなんだよ。
短めな思い込みが人の集中力を高める。
気付く。
そこにあるモノに気付けますか。
モノが落ちていたら人は拾ってしまうだろう。
それに気付けないと何も拾えない。
チャンスってのは拾わないと手に入らない。
そのチャンスは気付けないと、いずれ他の人が拾ってしまう。
チャンスってのは落ちてる。
チャンスは人それぞれにあるわけではない。
全体的にチャンスは落ちていて、それに気付けた人だけが拾ってチャンスをモノにする。
前だけ見てる人はチャンスに気付けず通り過ぎていく。
下を見ながら、前に気を配って歩く。
そして、チャンスが落ちていたら拾ってから前に進む。
それが人生の分岐点なるもの。
ちゃんと気付けないとチャンスは拾えない。
チャンスは来るものではないってことを理解しないと。
自分の手で拾うしかないんだよ。