羽を伸ばす。
羽を伸ばす。
人は時に羽を伸ばすことをしないといけない。
自分の生活を見直してみよう。
1週間のうちに、羽を伸ばす機会を設けているか。
1週間に一回じゃなくてもいいが、出来ればどっかで羽を伸ばしたい。
ほとんどの人が自分はしっかりそういう機会を設けていると言うだろう。
本当に休みもなく仕事に没頭している人もいるかもしれない。
そういう人はどっかでは羽を伸ばす時間を見つけよう。
羽目を外しているという人も、本当にそれは羽を伸ばしになっているかはわからない。
ただ、家でごろごろしているのは羽を伸ばしているわけではない。
ただ、休んでいるだけである。
羽を伸ばす時は、自分の日頃のうっ憤をまとめて放出出来る方法を考える。
これを自分で考えて、しっかり羽を伸ばす人ってのは昨日の続きだけど、
人に愚痴は溢さない。
愚痴を溢す人ってのは、羽を伸ばす機会を設けたほうがいいかもしれない。
その伸ばし方で、人は愚痴を溢さなくなる。
まずは真剣に羽を伸ばせることを考えよう。
見かけ。
人は見かけが9割。
こういった言葉を聞いたことがある人は多いと思う。
小学校や中学校などでは、服装や身なりでそういう言葉を言われた人もいるだろう。
でも、成長していくと、人は中身が大切だと知るだろう。
大切なのは上辺だけで取り繕ったものではない。
じゃあ見かけが9割ってのはどう考えても可笑しいだろ。
人を好きになる時、人はどこで判断するのか。
そうやって聞かれた時、ほとんどの人が中身や性格だって言うだろう。
他人に言われた時、大事にするのはみんな見かけじゃないと言う。
でも、ほとんどの人が見かけにも重点を置いているのは事実。
見かけが9割だとか、人は中身が大事だとかって語ってる人は、
結局どっちも間違っているってこと。
人には人の魅力がある。
それが見かけによるものなのか、中身によるものか。
多くの人と出会うことで、その魅力を感じるセンサーみたいなのは高性能になっていく。
見かけも中身も大切で、人としての魅力を磨いていこう。
愚痴。
人は愚痴を溢す。
人は他人に自分の愚痴を聞いてもらいたがる。
それには2つの思いが込められてる。
ただ単に、自分の感情を誰かにぶつけるだけで、それを聞いてほしいだけの人。
悪く言えば、自分のストレスを発散させるはけ口に、他人を使う人。
もう一つは、愚痴を溢してそれに同情してくれる人がほしい人。
悪く言えば、自分は被害者だから可哀想だろって思ってほしい人。
愚痴っていうのは、自分一人ではどうしようもない。
愚痴も溢せる信頼出来る人がいるからって、楽観的に考えるのもいい。
でも、他人の愚痴を聞いて良い思いはしない。
自分が頼られているってとこに喜びを求める人もいるだろう。
でも、それは悪く言えば、利用されてるってこと。
ストレスのはけ口に使われているってこと。
どうしても愚痴を聞いてほしいって時はある。
それを誰にも言わず、ため込むっていうのは勿論良くない。
でも、だからと言って他人にそれをぶつけていいわけではない。
聞いてもらった人がそれのせいで、ストレスになるかもしれない。
つまり、愚痴ってのはストレスの連鎖に陥る。
出来れば、愚痴ってのはしないこと。
人に愚痴るぐらいなら、海などに向かって叫べばいい。
愚痴って、幸せになれるのは自分だけで、聞いてもらっている相手がそのまま、
愚痴を被るようになるということを忘れずに。
過ぎていく。
過ぎていく。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、一年が過ぎていく。
新たな季節が来ると、一つの季節が終わる。
季節と一緒で、刻一刻と時間は過ぎていく。
その時に出来ていたことが出来なくなる哀しさ。
その時に出来なかったことが出来る嬉しさ。
季節と違うのは、一度過ぎると二度と同じ時間が戻ってこないってこと。
儚く淋しいことを。
そんなことは誰もが知っている。
でも、多くの人がそれを知っていても深くは考えない。
だって、それが当たり前なんだから。
だから、人は過ぎていく時間の中で、思い出を残そうとする。
その過ぎていった時間の存在証明がほしいかのように。
そうやって意味付けをしている最中にも、時間は過ぎていく。
残された時間はどれだけだ。
終わりを告げるまでの後どれだけあるのか。
過ぎていく時間は決して止まってくれない。
ゴールは決まっている。
過ぎていくんだ。
それは哀しいことなのか、先がある嬉しさか、思い出を作るためか。
楽しくなってきたね。
これだけ簡単に時が過ぎていくってことは。
見失う。
見失っていることはないか。
自分がその仕事に就いたのは何の為か。
やりたいことなんて最初っからなかった人もいるかもしれない。
何かしらの分岐点で、自分の意志で決めた道を行く。
それには何か考えてそっちに行ったはず。
その時の考えを、目的を見失ってはいないか。
物事を見失わないようにするのは難しい。
それをずっと考えて、見続ける必要があるから。
でも、物事を見失うのは簡単にできる。
目を逸らしたり、考えることをやめればいい。
でも、それは必ず後から後悔することになる。
だから、人は見失わないように喰らいついていく。
教えを諭す側は後悔させないように喰らいつかせる。
今まで見失ってしまった教訓があるから。
見失わないように。
見抜く。
見抜く力ってのは、人が持つ特技の一つ。
他の動物も見抜くことは出来るが、人のように思考を巡らせて見抜きはしない。
本能のままに分かるのが動物で、本能だけではなく、その過程や経験を駆使して見抜くのが人。
見抜くのは、嘘とか本質。
嘘を見抜くにも、見抜く必要のある嘘と、見抜く価値もない嘘がある。
それを人は本能で感じ取る。
人にだけ物事の本質を見抜こうとする思考がある。
でも、多くの人は本質を見抜こうとはしない。
宝の持ち腐れとはこのことか。
本質は知ろうと、見抜こうとしなければ知れないし、見抜けない。
単純に流されているだけで、本質を見抜こうとしないと。
人の意思決定は基本多数決で決まる。
その多数決がもしも間違っていたら。
本質を見抜けない人が多数決側にまわっていたら。
本質なんて分かろうとしても分からない。
でも、それを見抜く価値は必ずある。
凝らすしかない。
眼であったり、感覚であったり、事実や経験などを駆使して。
間違った多数決が、少数派に傾くぐらいの波を起こせるように。
多数派の場合は、他の少数派を全員味方に付けるぐらいの勢いで。
見抜いていこう。
自分の考えや他人の考え。
自分の嘘や他人の嘘を。