言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

迷い。

迷いが生じた時、人は何かしらの欲が生まれる。

どっちにしようかなっていう人の優柔不断さが滲み出る。

迷うってことは、あれもこれもしたいとか欲しいとかそういうこと。

何かしらの二つ以上のモノを自分の中で取り合う。

道に迷うとかのとはまた違った迷い。

人は欲に忠実に生きている。

常に何かしらに迷いを持ち、なかなか次にいけない。

人は欲には逆らえない。

人が迷うのは極々自然なことだ。

それを無理して迷いを捨てろって言う人は、大抵多くのことを迷って決めてる。

迷えばいいじゃないか。

迷うことは悪いことじゃない。

あれもこれもしたい、あれもこれも欲しい。

だから、人は頑張れる。

あれもこれもしたいから頑張って時間を作ろうとする。

あれもこれも欲しいから頑張って働いてお金を貯めようとする。

それでいいじゃないか。

選択肢は多い方がいい。

これだって決めつけて、他には目もくれず後から後悔はしたくない。

迷うことが自分の人生をもっと楽しくしてくれる。



道標。

他人に決められたレールの上を走りたくない。

そんなニュアンスの言葉を耳にすることは結構ある。

学生の時とか、もっと幼い頃とか。

今では少なくなってきているとは思うが。

人はそういうありきたりな言葉を謡うのが好きだ。

そして、そういう言葉に人は共感する。

大人は子どもに人生の先輩として提案をする。

これからどういうことが待っているのか。

これからどうしていった方がいいのか。

ただそれだけしか出来ない。

大人は大人の力を使えば、子どもをレールの上に乗せることはできる。

でも、もう今の時代の大人たちは流石に分かってきただろう。

そんなことしても何も意味がないことを。

大人は所詮、提案までしかできない。

それを強要することは教育でもなんでもない。

人生ってのは教育出来るものではない。

子どもたちも薄々分かっている。

大人たちは全部が全部助けてくれるわけじゃない。

自分の道標は自分の目で見た先にしかない。 

予想外。

 自分が考えていたことがある。

自分が思っていることがある。

それがもしも違っていたら。

自分が思い描いてたものと全く違うことが起きてしまった時。

自分ならどうするか。

もしも、目の前で思いがけない出来事が起きたら。

人は生活しているうちに、予想を立てながら行動するようになる。

もしも、その予想の中で違うことが起きたら、あなたは対処できますか。

人が一番怖いのは、自分の予想の外で起こる出来事。

人は急な変化についていくことがなかなか出来ない。

災害なんかもそうだ。

事前にある程度のことを訓練する。

そうなることを想定した上で、予想した上で訓練を実施する。

じゃあ実際に災害が起こった時、人はどれだけの対処が出来るだろうか。

人はそういう時、大抵こう言う。

予想より大きいだとか、想定とは違ったとか。

自然の力は圧倒的に人より強い。

それは分かりきっているだろう。

それでも尚、そういう場面に陥った時、人の予想は必ず超えてくる。

大抵起こることは、人の予想を遥かに上回る。

人の予想なんてそんなものだ。

日常は予想外なことの連続だ。

しないよりかは確かに少しは予想していた方がいいだろう。

でも、自分の予想に絶対的自信を持つのは良くない。

予想を立てるというよりは、ある程度のことを身構えておくという表現の方がいいだろう。

どんなことが起きても、身構えておいて不足の事態に備える。

自分の頭の中でこれぐらいだろうといいう予想は、悪いように覆される。

予想外なことが起こるのは自然なんだ。

自然に勝てる人なんていない。

沈んだ。

気持ちが沈んだ時、何かその気持ちを晴らせるものがありますか。

悩み事がある時、誰にもそれを相談できない。

仕事が上手くいかない。

友人関係に何かしらの障害が生じた時。

学校で嫌なことがあった時。

天気が悪くて、気持ちが上がらない時。

失敗してしまった時。

人は落ち込む。

気持ちが沈む。

何もやる気が起きなくなったり、動きたくもなくなる。

それはただダラダラしたいわけじゃなく、体が動いてくれないだけで。

そういう気持ちが沈んでしまった時、あなたは何をしますか。

一日のリセットとして早めに寝る。

好きな音楽を聴く。

体が少しでも動くなら汗を掻く。

食欲があるなら好きなものやおいしいものを、お腹いっぱい食べる。

娯楽で遊ぶ。

ゆっくりお風呂に入る。

他にもあるだろう。

もしないなら、何か探さないとだめだ。

人の気持ちの浮き沈みは激しい。

そういう時に何も対応できることを考えていないと、沈みっぱなしだ。

自分のやり方でその沈みを浮き上がれるように。

僕は今日も好きな文字を書いて気持ちを上げて、好きな音楽を聴いて寝ます。

課題。

人は周りから課題を出される。

あれしろこれしろと次々に目の前に積み上げられる。

それを一個一個処理していく。

処理しても処理しても次から次へと。

人はひたすら課題をこなしていく。

こなしながら人は年を取る。

そしていずれは亡くなってしまう。

これだけ見ると、人の人生の意味を疑いたくなるほど何もない。

でも、実際は違う。

その積み上げられていく課題の中に、その人の存在意義を示すべき課題がある。

それは沢山の積み上げられている課題の中から、自分で見つけなければならない。

その課題を見つけた時、人は輝く。

それを達成するために人は人生を捧げる。

その課題は勿論人それぞれ違う。

あなたは見つけましたかその課題を。

僕はまだ見つけることが出来ません。

まだまだこれから山積みの課題を整理整頓して見つけたいと思います。

ふり。

人は上辺だけで人と接することが出来る。

人はあまり仲良くない人とも友達のふりを出来る。

人は本当は苦手な人にも愛想笑いぐらい出来る。

人は人に合わせることが出来る。

そういうふりが出来る。

人が一番得意なのは愛想笑いだ。

上司の言葉に愛想笑いする人、取引先の人に対して愛想笑いが出来る人。

そういう本当は笑えない状況でも、人は取り繕って笑うことが出来る。

その人の本性はなかなか見えない。

見せているふりをしているだけのことの方が多い。

上辺だけの付き合いってのが重要なほどに、人は人との接し方に神経質だ。

少しでも機嫌を取ろうと躍起になって取り繕う。

出来るふりをして、内心ドキドキの人もいる。

人は自分の周りに取り繕った空気を出す。

周りの視線を気にして、一生懸命良い人のふりを務める。

取り繕わずに接せる人があなたの周りに何人いますか。

その人の大事さは月日が経つにつれて分かってくる。

より多くの人と関わればなおさら。

面と向かって素直にさらけ出せる人なんて、片手で数えてもお釣りが出るぐらいだ。

もしも、両手で数えても足りないぐらいそういう人が居るなら、一度考えてみよう。

本当に何も取り繕ってないか。

少し数が減るだろう。

何でも数字は多ければいいってことではない。

そういうことを言える人ってのは、意外と少ない人数の方がいい。

それを人は親友と言えるのかもしれない。

愛想笑いできるようになりたい。

充電。

人はずっとは活動していられない。 

人は時には休まないといけない。

そうしないと体が動かないからだ。

人にも充電する時間が必要になる。

それは睡眠だけでは到底足りない時間で、時には睡眠とは違う充電をしないといけない。

それは何も体を休めるだけじゃない。

人が一人で散歩したい時、人が何か自然なものに触れたい時。

そういう時は人が少し充電期間に入る時。

人はそういうことをすると充電出来るらしい。

そういう機会を設けることは、自分の生活の質を上げる為にたまに必要なことである。

今のあなたは充電しなくても大丈夫ですか。

充電が切れているのにも関わらず、ひたすら動き続けていませんか。

誰かが止めてくれるわけじゃない。

自分で止まらないと、体が壊れる。

周りの人には気付けない状態に自分も気付けていないと故障する。

そうなる前に一度充電する機会を設けよう。

その機会の重要性が絶対に分かる。