言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

言葉遊び。

誰か知らない誰かが「誰々はこうだ。」で始まり

 

誰かもまた誰かと誰かの事を誰かへ

 

誰かしらが誰かを「誰々のせいだ。」君が鬼

 

「誰が誰で誰だよ。誰だっていい。」と飽き飽き

 

白い闇の中で言葉遊びしながらやがて訪れる春を待とう。

 

僕の好きなバンドさんの曲に出てくる歌詞である。

 

もう春と言えば春になるのかもしれないが、まだ外の風は冷たい。

 

昼間に外を歩くと少し暖かい感じを受けた今日。

 

桜が咲きだす季節。

 

既に咲いている所も多くあるかもしれない。

 

僕たちの周りは咲くまでもう少し時間が必要なのかもしれない。

 

春が待ち遠しいと思う気持ちは誰にでもある。

 

よく春は出逢いの季節だとか、別れの季節だという。

 

新しく入学、入社してそこでの人との出逢い。

 

在籍した所の卒業、退社、異動による人との別れ。

 

人との出逢いにわくわくしている人、緊張している人。

 

人との別れに悲しんでいる人、涙を流す人。

 

もしかすると、出逢いたくなかった人と出逢ってしまうかもしれない。

 

もしかすると、合わなかった人との別れで嬉しく感じている人がいるかもしれない。

 

「出逢いがあれば別れもある。」と、よく人は言うのかもしれない。

 

そんなことは人に言われなくても誰だって気付いている。

 

生まれたての赤ちゃんもどこかで気付いているかもしれない。

 

生まれたての赤ちゃんがそんなこと気付くわけがない。

 

そんなことはない。

 

赤ちゃんの時の記憶が残っている人もいるぐらいだ。

 

言い切れはしないんだ。

 

人は感覚的に気付く。

 

出逢いから生まれる別れを。

 

これから幾度となく繰り返していく出逢いと別れに神経使ったり、悩んだりする必要はない。

 

いくら神経を使ったり、悩んでも必ず起きることなのだから。

 

そんなことより、言葉遊びをしながら春を待った方が待ちやすくないか。

 

気負う必要はどこにもない。

 

春が来た。

 

その言葉から伝わってくる、暖かくも涼しい過ごしやすい季節に思いを耽る方がいい。

 

僕の街に春が来るのもそう遠くはない。

 

言葉遊びをしながら春を待つ。

 

そろそろ桜が咲く頃だ。