言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

常識。

常識とは、一般に学問的知識とは異なり、普通人が社会生活を営む為にもち、

またもつべき意見、行動様式の総体をいう。これは経験の集積からなることが多く、

時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり、多分に相対的なものである。

本来は、「共通(一般)感覚」の意。

 

常識がない人って言うと、とても悪く見られる。

 

常識にとらわれない人って言うと、とても良く見られる。

 

常識にとらわれるなって言葉は、とても良く人の心に響く。

 

何故か。人が自由を求めているから。

 

常識を破ることが、自由を手にする為に必要だいう人もいる。

 

そんなことはない。常識を破る意味はない。

 

常識は時代ごとに変わっていく。

 

昨日までの常識が、今日非常識になって行くかもしれない。

 

昨日までの非常識が、今日常識になって行くかもしれない。

 

常識は、今まで人が歩んで積み重ねてきたモノだから。

 

最初の常識は何だったのだろうか。

 

人が共通してきた感覚が間違って出来た常識もあるのかもしれない。

 

だからって、破る必要なく、違う常識を作って上書きすればいい。

 

常識的に考えて、何々だと思う。

 

人は、本当に色々な感性を持っている。

 

その人たち全員が納得する常識ってのは多くない。

 

だから、常識を破りたくなるのかもしれない。

 

常識というのは、所詮、共通の感覚でしかないのだから。

 

全員が全員、同じ感覚で居ては何も進まない。

 

少し前の時代に生きていた人が、現在の状況を把握はできない。

 

その人たちからしたら、僕たちは常識の外の人になっているのかもしれない。

 

常識が全てだっていう人は割といない。

 

成長していくためには常識だけでは駄目だから。

 

第20代アメリカ大統領のジェームズ・ガーフィールドが言った。

 

「誰かがやらなければ、世の中は変わらない。」

 

誰かがやるのも待つのも一つかもしれない。

 

でも、自分の意志があるのだから、自分がやって世の中の常識を作ってもいいのかもしれない。

 

勿論、一人が常識と思っていても、それは常識ではない。

 

その常識が他の人に伝わり、共通の感覚として共有しよう。

 

それが友達や仲間と呼べるモノになっていくのかな。

 

常識を破る。常識にとらわれない。

 

そんな小さなことは置いといて、もっと広い目線で世の中の常識を作る。

 

そんなことが出来たらいいな。