言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

何かしようと。

何かしようと思う。

今の時代、何が起こるか分からない。

明らかに時代を重ねるにつれ、自分たちで何かしようという意志は増えてくる。

何かしようとする人は多くいる。

でも、その中で何か出来るって人はほとんどいないのではないか。

何か自分でしようとまでは、多くの人が思うのではないか。

そこから、いざやるってなると動ける人は極端に少なくなる。

そこに飛び込めるかで、その意志の強さが分かる。

何かしようってなんだ。

何をすればいい。

どんなことが自分には合っているか。

大人は一度社会経験をしてから考えた方がいいと言う。

その言い分も確かに分かる。

どんな小さなことでも、行動するってのは難しい。

それが多人数になればなるほど余計に。

一度働くってことを体験してからでも遅くはないと言う。

それでも、誰が何と言おうともそれは遅いと思う。

人の限られた時間の中にそれに時間をとる猶予はない。

社会経験ってのは、ようは堕落の仕方だ。

何かしようとしてるまではいい。

何か出来るってなった時、考え込んで返答出来ないのは何もしようとしてないのと一緒。

人の意志ってのは、大抵ぐらぐら揺らいでいる。

その中で自分の中心に何か持っている人だけが何か出来る人だ。

そこに踏み込めるのは自分の足でしか無理だ。

自分の足はどうだ。

どっちの方向に向いてる。

真っ直ぐ前を向いているか、横に向いているか。

一度下を見て確認してみよう。