言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

前向き。

前向きという言葉は凄くよく捉えられる。

ポジティブだとかそういうの。

でも、前向きが全てではない。

何でもかんでも前向きに考える。

こんなのはただのお馬鹿さん。

ポジティブなんて所詮は実体のないモノ。

自分がポジティブと言えばそう。

自分が前向きだと思えばそう。

辛いことや大変な問題にぶつかった時、前向きに行動する。

それはただ、プラスなことしか考えていない。

それではいつかキツくなる。

長所が前向きだとか、ポジティブだという在り来たりな人は減ってきたと思いたいが、

それは何も長所にならない。

そんなのは何の意味にもならない。

前向きだからなんだ。

ポジティブだからなんだ。

それは何の役に立つのか。

ポジティブだとか、前向きだとか軽率な言葉は何もその人のことを表現しない。

前向きに生きるだとか、行動するだとかは何も口に出したり、

人に「もう少し前向きになったら。」なんて言っても何も起こらない。

こういう言葉は発するのではなく、何となく自分の心の隅っこに置いておけばいいモノ。

前向きに生きたほうが...何て言われても、そんなことは誰だって知ってる。

それを初めて知ったかのように、前向きになれたなどと言ってる人は一生前向きになんてなれない。

ただ川の流れに乗って、のらりくらりと下流まで流されて行くだけ。

前向きになれる、ポジティブな生き方を謡う曲でそれに感化されても、それは結局一瞬。

そういう曲を聴いて前向きになれるなら、この世にネガティブな人なんていない。

それを聴いた一瞬は前向きに生きようと思って、それを常に意識している人がどれだけいるか。

そういうのを他人からの影響に任せてはいけない。

何事も前向きになろう。

そんなわけないでしょ。

前だけ見てるなんてどれだけ危ないか、ちょっと考えれば分かる。

前も後ろも同じぐらい向いていく。

ポジティブだとか、ネガティブだとか、そんなモノはどっちでもいい。

そんな一方の偏りで見えてくるモノが本当にあるのなら。

大体分かる。

そんなモノでは何も見えてこないと。