嫌なこと。
自分がされて嫌なことは人にはしない。
昔からよく言われて来た言葉だろう。
ほとんどの人が、一回は言われたことがあるのではないだろうか。
こういう言葉は、自分が今からしようとしている行動を抑制しようとする。
本当にその行動は大丈夫か、本当にその言葉を言って大丈夫かと。
自分がやられたら嫌だということは、相手もこれをやられたら嫌じゃないか。
勿論、例外もある。
自分は別にされても嫌じゃないけど、相手はされると嫌なこと。
それは、認識の低さか、好き嫌いの話。
いじめは典型的に誰もされたくないことだろう。
でも、いじめは絶対になくならない。
いじめをする人は認識が低い。
いじめられるのが嫌じゃない人なんていない。
それでも、してしまうのは相手の気持ちと、自分に降り掛かった時の認識が低いから。
自分がされて嫌なことはなんて、いじめている時は誰も考えない。
その言葉で抑制が出来ない人もいるってこと。
相手の気持ちを理解するのは、大人、子ども関係なしに難問すぎる。
それでも、こういった有名なほとんどの人に伝えられる言葉で、理解する機会を作る。
そういった言葉ってのは結局機会を与えるもの。
それを無視して人の嫌がることをするか、その機会を活かして、しっかり考えて行動できるか。
伝えるしかないそういう言葉を。
出来るだけ無視する人を少数派にするには、伝えるしかない。
それが出来るのが、人と人との繋がりというやつだろ。
そういう繋がりを持てないと、いずれ。