言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

まとめて分ける。

分けて物事を考える人と物事をまとめて考える人。

あなたはどちらのタイプですか。

一つ一つ物事を分けて考える。

これとこれは別だと、分別を施してから考える人。

全体をまとめて、その中で考えるべき点を袋から取り出して考える人。

どちらがいいってわけじゃない。

どちらも考え方としては正しい。

その考え方を自分が知っているかどうかが問題だ。

自分はどっちだ。

それが分かれば、物事を考える時に効率が良くなる。

自分が分けて考えた方が得意な人が、まとめて考えようとしても効率が悪い。

自分がまとめて考えた方が得意な人が、分けてから一つにまとめようとするのは効率が悪い。

自分はどっちが得意か知ってさえいれば、その取りかかりは早いだろう。

物事に取り組む前に、一度考えてみよう。

自分はどちらなのかを。

それを考えたうえで、自分に合ったやり方で、効率よく考えていこう。

喩え。

人は何かに何かを喩える。

その喩えは人それぞれ。

雲を見て、その雲が何かに見えると人は言う。

その喩えは意外と人それぞれ。

同じような雲を見て、違うものを喩えて言う。

それだけ、人の考えは色々ある。

何か成功を喩える時も、失敗を喩える時も。

人生を喩える時も、人の生き方を喩える時も。

自分の考えや喩えってのは、意外と人とは違う。

それを踏まえて、伝えることの大切を知るべき。

他の人が喩えたことに共感する。

そんなことが多いのではないか。

有名な人が残した言葉。

そういった人が何かを何かに喩えた言葉ってのは、人を引き付ける。

それはもしかしたら自分にも出来るのかもしれない。

それぐらい自分に自惚れてもいい。

自分の喩えが人に良い影響を与えるかもしれない。

その可能性があることを忘れないように。

今度こそは。

今度こそはって言葉。

この言葉を聞いた時、あなたはどう思いますか。

今度こそ頑張るって言われると、少しマイナスのイメージを持つかもしれない。

今回頑張らなかった時の言い訳に聞こえる。

でも、今度こそはって思えること自体に意味がある。

そこに次を見据えるかどうかで、そこからの動き出しが変わってくる。

こうであればいいのになぁと、思い浮かべるだけでは意味がない。

今度こそはって意志がないと、思い浮かべるだけでは人は動けない。

今度こそやってやるって気持ちが人には必要だ。

その気持ちさえあれば、人の成長は止まらない。

どの言葉が本当に自分を作ってくれるのか。

世間の言葉のイメージが全てではない。

自分だけの解釈でもいい。

それぐらい言葉は人によって捉え方も考え方も違う。

今度こそ自分の為の言葉を見つけよう。

それだけでいい。

認める。

認めることの大切さ。

自分を認めることが大事なのは誰だって分かるだろう。

その中でも自分の非を認めることが大切である。

自分がミスをしたり、人に迷惑をかけた時。

そんな時に自分の過ちを認め、反省したり誤ったり出来る人。

そういう人でないといけない。

何でもかんでも自分中心に考え、自分の間違えをはぐらかす。

そんな人には誰もついてこない。

自分の辛いことだけを吐き出し、他人の辛いことには関心を持たない。

世の中にはそういう人もいる。

認めることが出来ない。

そういう人は自分の成功は認め、他人の成功には嫉妬する。

出来ていない人もある。

認めよう。

自分の過ちを。

それを糧に生きることが、格好よく生きられる秘訣。 

無視。

無視することはいけないことか。

それは勿論、無視がいけない場面もある。

いじめに関する時。

そういう時の無視ってのは完全にいけないことである。

でも、無視が必要な時だってある。

怪しい人に話をかけられた時。

完全に意見が違い、それを強制的に自分の意見に持ってこようとしている人の時。

無視するべき時ってのが必ずある。

でも、そこで無視するのには勇気がいる。

その勇気が出ないと、自分の人生を他人に委ねることになる。

まずは自分に素直になる。

そこで嫌なら無視したり断らないと。

それをなぁなぁにしていると後から後悔する。

時には必要な無視を覚えないといけない。

それがより人生を有意義にしてくれる。

宝物。

あなたの宝物は何ですか。

家族だったり、友達だったり恋人だったり。

好きな物だったり、誰かに貰った物だったり。

思い出だったり、場所だったり。

宝物ってのは、意外と見つけに行くものじゃないのかもしれない。

海賊の言う宝とは、また違ったもの。

あなたの宝物はどうやって宝物になったか。

必死に宝物を探そうとして、その宝物に辿り着いた人はいないだろう。

欲しいものだったり、貰ったものだったり、形のないものであったり。

宝物ってのは自然と、自分の中で大切になるもの。

自分では探さない。

何かをしていて、ふと気付く。

宝物ってのはそういう時に気付く。

それの大切さは、考えれば考える程湧き出てくる。

宝物は新たに探しに行かなくてもいい。

少し過去を振り返れば出てくるモノなんだ。

注意される。

注意される人によって態度を変える。

注意されたことに反発して、話をあまり聞かない時。

注意された時、自分の非を認め反省する時。

そこに何の違いがあるのか。

薄々、ほとんどの人が気付いているかもしれないが、

注意をしてくる人が、自分にとってどういう存在かが関係してくる。

この人は、人に注意している割には、自分にだらしないような人。

形だけの注意で何も響いてこない人。

普段関わっている中で、その人の本質を見てしまっている時。

そういう人から注意をされたって、聞けって方が難しい。

ならその逆、自分にも厳しく、しっかり自分を理解した上で注意してくれる人。

関わりの中で、その人に尊敬できる部分があったりする人。

そういう人からの注意は心に来るものがあるし、言われて納得する。

先生だとか親だとか、日頃から多く注意する人たちはどう思われているか。

どこにでもありそうな言葉を、どんな時でも同じように話す。

日頃から子どもたちは見ている。

大人も自分より上の人を見ている。

そこでこの人には注意されたくないって思う人もいる。

そう思われないように、まずは自分が注意出来る人か。

自分は周りの人を評価している。

その逆で当たり前のように、周りの人も自分を評価している。

その関係を上手く築けるように。