言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

都合。

都合の良いことはする。

都合の悪いことはしない。

都合の良いことは喋る。

都合の悪いことは喋らない。

人は自分の都合の良いように物事を解釈する。

人が何かを決める時、一番重要なのは都合だ。

人は9割の都合と1割の馴れ合いで動く。

こう聞くと、都合ってのは悪く思われがちだ。

でも、所詮世の中は都合よく動いている。

都合よく動くのは普通なんだ。

誰も自分の都合の悪いことはしたくない。

当たり前だ。

そんなことはしなくていいんだから。

自分の都合の良いように動くのは、人が考える能力を持っているから。

自分の頭で考えた都合なら、それに従って動くのがいいだろう。

それで起きた失敗や成功は納得できるだろう。

他人の都合に動かされた失敗や成功ほど虚しいものはない。

道を外した都合じゃない限り、その都合は肯定される。

そこを勘違いすると、人の道を外す。

自分の都合で吊り橋を壊さないようにしよう。

そうすれば、吊り橋の向こうに辿り着く。

その先を見るか、吊り橋の上から落ちるか。

自分の都合で決めればいい。

虚しさ。

何事にも身が入らないような状態。

何かやっても、何の生産性もないような感じで、時間を無駄にしてしまった。

どんな人にもそういう時はやってくる。

どんなに生真面目な人でも。

むしろ、そういう人の方が一度虚しさを味わった時の反動は大きい。

自分は今までの時間何をしていたんだろう。

その自問自答の繰り返し。

一度そこにハマるとなかなか抜け出せない。

じゃあどうやればその虚しさから抜け出せるか。

簡単なことだ。

現実を受け入れろ。

それができれば、虚しさなんて感じない。

でも、人はそんなに出来が良いわけじゃない。

どうしても自分の理想を掲げ、それが当然だと考える。

それ故に人はその反動を受ける。

目の前にあるものを見ろ。

それから自分が楽しいと思えることをしろ。

それができれば虚しさなんてなくなる。

実現。

どんなにありえないことでも、人は想像できる。

それが妄想だとか、妄言だと言われても想像するのは自由なことだ。

想像するのは簡単なことだ。

自分の頭で、自分の思いのままに思い浮かべる。

別に実行する必要などないから。

しかし、それを実現しようとした場合。

人は想像を超える努力が必要になる。

想像しただけで実現できるものなんてない。

実際に行動に移さない限り、想像は実現できない。

想像を他人に委ねてはならない。

自分で想像したことを実現できるのは自分だけだ。

しかし、想像の共有をすることで、人の手を借りることが出来る。

自分一人では勿論辿り着ける場所の限界はある。

それを超える為には、人がいる。

それは想像の共有のもと、人を募る。

それができれば人は実現に一気に近づく。

助け合いだとかは、その共有が出来ないと分裂してしまう。

本当に実現しようとするなら、その共有なくしてはできない。

実現までの計画は人の想像から始まる。

その実現を終わらす為には、共有がいる。

その3つのキーワード。

想像、共有、実現さえあれば人の夢は叶う。

その為にまず何をするか。

想像の前にすることがあるだろう。

自分を信用しろ。

これがあればどうにでもなる。

約束。

約束ってのは守るのが前提だ。

約束は破るためにある。

約束に関して極端な言い分が存在している。

普通に考えれば、約束は守るものだ。

しかし、人と人との約束ほど破られるものはない。

その一瞬だけの約束。

約束はしたけど、端から破る気しかない人。

約束しただけで、守るつもりはない。

他人との約束ほど信用できないものはない。

人との関係は約束の仕方、守られ方などによって変わってくる。

人として、他人との約束を絶対守れとは言えない。

その時の状況もあるだろうし、約束は常に天秤にかけられる。

だから、どっちかに傾いてしまう。

でも、絶対に守らないといけない約束もある。

それは自分との約束だ。

自分で自分に約束をする。

それを破るなんてことはしてはいけない。

それはどんな状況でもだ。

自分も信用できない人にはなりたくない。

自分が約束したことを果たすのを夢っていう。

自分に裏切られるようなことはしたくない。

約束は自分とする。

他人は信じられない得体のしれない者だ。 

興味がない。

人はそれぞれ色々なものに興味を持つ。

人が興味を持つ幅は広い。

本当に小さなことにも人は興味を惹かれる。

自分が興味を持つことには前のめりになる。

自分の興味あることが、全て他の人も興味あるわけではない。

自分の興味ある話を、まったく興味ない人に話す。

これほど意味のないことはない。

もともと興味のないものに興味を持たせるというの難しい。

難しいというか、ほぼ不可能に近い。

それだけ人は一度自分の中で決めたことを曲げない。

一度興味を失くしたものに、もう一度興味を持たせる。

それが出来る人は本当に凄い人だ。

興味がないとそのことに見向きもしない。

見向きもしないものに興味を持たせる。

考えても何も考えつかない。

考えつけるのは、それはもうそれが才能だ。

だから、人の興味を惹ける何かを持っているのは凄い才能だ。

逆にどんなことにも興味を持とうとする人もそれは最早才能だ。

でも、今の世の中に必要なのはそういった才能の持ち主だ。

興味を持たないことには始まらない。

まずはどんなことにも興味を持つ。

そういう人が徐々に増えてきてほしい。

自分もそういう人になりたい。

泣く。

人は涙を流して泣くことが出来る。

悲しい時、嬉しい時、苦しい時、辛い時、感動した時。

人が涙を流すのには、絶対何かしらの理由がある。

理由のない涙はない。

その理由があるから、人は泣くことが出来る。

世の中には色々なストレス解消法がある。

人が一番ストレスを解消できる方法は、涙を流すことである。

ストレスが溜まりに溜まった時は、一度泣いてみよう。

泣くことで自分は救われる。

人は最初に持って生まれたものは涙だ。

それが一番の手段だと生まれた時の赤ちゃんは、本能的に知っている。

だから、赤ちゃんはひたすらに泣くのだ。

それが成長するにつれて、様々な経験から違うことでストレスを解消しようとする。

大人になるにつれて、泣くことが少なくなるのはそのせいだ。

更に、大人は人前で泣くことを恥ずかしがる。

年を取ると、ある一定の時期までなかなか涙を流さない。

その時期を超えると逆に涙を流しやすくなる。

それは涙を流すことぐらいしか、ストレスを解消する方法が取れなくなる時だ。

人は最終的に気付く。

泣くことがどれだけ自分の心にゆとりができるようになるのか。

泣くとスッキリするのは、経験すれば誰もが分かるだろう。

泣くとスッキリ寝れる経験もあるだろう。

泣け。

どんな時も泣くに越したことはない。

見方。

世の中に情報ってのは数えきれないほどある。

その情報が嘘か本当かなんて分からない。

人によってその情報の意味も変わってくる。

その情報をどう見るかは見方によって変わってくる。

だから、自分なりの見方ってのが必要になってくる。

他人の見方が正しいとは限らない。

自分の見方が間違っていても、それは自分のせいだろう。

それに関しては自分の未熟さを恨むしかない。

他人の見方に操られるな。

自分なりの見方を持つことこそが大切で、不可欠なことだ。

沢山の情報を一つ一つ自分の見方で対処して、自分の中に取り入れていかないといけない。

その情報と自分の見方を照らし合わせることで、真相ってのは分かる。

自分なりの見方を持つためには色々な人の見方を参考にしよう。

参考にして、削ぎ落して、質の高い見方に自分を育てていこう。

見方が変われば、自分の前に広がる景色も変わってくる。

昨日まで見れなかったことも、その目の先の景色に移ってくる。

見方で自分の人生はどんな方向にでも変われる。