言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

お節介。

お節介と親切の違いとは。

相手に感謝されるか、相手に感謝されないか。

お節介は、自分の中で親切だと思ったことが、相手には親切に思えない。

親切は、自分の中で多分いい行いなんだろうなって思ってやったことが、相手に感謝されること。

自分は親切のつもりでやったのに、相手からは感謝されない。

そういうのが一番精神的につらい。

でも、そんなこと言っても、感謝されるかされないかはやってみないと分からない。

感謝されたいってのは違うけど、するなら感謝してほしいのが本音。 

逆にいいことされたら、少しぐらい感謝したっていいんじゃないか。

結局そういうのは自由だけど。

お節介だろうと思って人はお節介をするわけじゃない。

少しからかう気持ちがある人はわざとかもしれないが。

出来るだけ人には親切にしよう。

その中で、いくらかお節介と思われてもいい、行動しないよりはマシだろう。

親切なことをされたら、お節介だなと思っても、相手の優しさには感謝しよう。

そんな方が幸せだろう。

身近な。

目標って言われて、一体どれだけ先のことを考えて目標を立てるか。

1年後のことか、1か月後のことか、10年後のことか。

でも、勿論目標はそんな先のことじゃなくてもいい。

もっと身近な目標でもいい。

今日一日の目標とか。

そんな先のことじゃなくてもいいから、目標ってのは見つけよう。

難しいことじゃなくてもいい。

簡単で多分達成出来るだろうと思う目標でも。

誰もが目標って言われると、先のことを考えようとする。

先なのは当然だけど、先過ぎない目標も持とう。

一日に一個ぐらい簡単な目標を。

目標を持つことで何が良いか。

目標ってのは、それに向かって頑張る自分を鼓舞するためのもの。

一度、目標を達成するとそれを達成した満足感が快感になり、次の目標を探す。

それが人が成長するために必要なサイクル。

まずは小さい目標から。

それを達成した満足感を忘れずに、次の目標へ。

そして、人として成長していこう。

作品。

人は作品を残す。

その作品がどんなものであれ、作った人の思いが詰まってる。

人の作った作品に触れる。

これはその作った人の思いに触れることが出来る。

他人の思いってのはそういった作品から伝わる。

普段、直接人と接して感じる思いとは別に、作品は違う思いに触れれる。

はっきり言ってしまえば、それは触れた自分の思い込みや想像だけど、

そっちの方が、自分の想像力でいくらでも変化させることが出来る。

直接接すると、同じ人からは同じ感じしか分からないけど、

自分の想像力ならいくらでも違う感じが出る。

つまり、作品ってのは作った人の想像力から、それに触れた人の想像力によって伝わる。

それは絶対人によって違う。

それが作品の良さ。

感じるのは想像力。

それを作品ってものは豊かにさせてくれる。

是非、多くの作品に触れてみよう。

過程と結果。

過程と結果がある時、どちらに比重を置くか。

物事に辿り着く過程が大事である。

結果が全てである。

そんな言葉を聞いたことがある人は多いだろう。

はっきり言えば、結果が全てなのは確かである。

でも、過程はどうでもいいってことではない。

勿論、過程をしっかり組んで取り組み、結果を出すに越したことはない。

でも、過程はどうあれ結果が出るときもある。

その逆の、過程はしっかりしているのに結果が出ないこともある。

むしろ、人がやることのほとんどが過程は整っているのに結果は出ないことだらけ。

それでも、しっかり過程を立てた方が、結果が出る確率は高い。

それを信じられなくなったら、どうしようもない人になる。

それだけはしてはいけない。

過程を重んじて、結果を出す。

これ程単純で難しいことはない。

信じるしかない。

人は最終的には信じるしかないんだ。

その過程が、必ず結果に結びつくと。

羽を伸ばす。

羽を伸ばす。

人は時に羽を伸ばすことをしないといけない。

自分の生活を見直してみよう。

1週間のうちに、羽を伸ばす機会を設けているか。

1週間に一回じゃなくてもいいが、出来ればどっかで羽を伸ばしたい。

ほとんどの人が自分はしっかりそういう機会を設けていると言うだろう。

本当に休みもなく仕事に没頭している人もいるかもしれない。

そういう人はどっかでは羽を伸ばす時間を見つけよう。

羽目を外しているという人も、本当にそれは羽を伸ばしになっているかはわからない。

ただ、家でごろごろしているのは羽を伸ばしているわけではない。

ただ、休んでいるだけである。

羽を伸ばす時は、自分の日頃のうっ憤をまとめて放出出来る方法を考える。

これを自分で考えて、しっかり羽を伸ばす人ってのは昨日の続きだけど、

人に愚痴は溢さない。

愚痴を溢す人ってのは、羽を伸ばす機会を設けたほうがいいかもしれない。

その伸ばし方で、人は愚痴を溢さなくなる。

まずは真剣に羽を伸ばせることを考えよう。

見かけ。

人は見かけが9割。

こういった言葉を聞いたことがある人は多いと思う。

小学校や中学校などでは、服装や身なりでそういう言葉を言われた人もいるだろう。

でも、成長していくと、人は中身が大切だと知るだろう。

大切なのは上辺だけで取り繕ったものではない。

じゃあ見かけが9割ってのはどう考えても可笑しいだろ。

人を好きになる時、人はどこで判断するのか。

そうやって聞かれた時、ほとんどの人が中身や性格だって言うだろう。

他人に言われた時、大事にするのはみんな見かけじゃないと言う。

でも、ほとんどの人が見かけにも重点を置いているのは事実。

見かけが9割だとか、人は中身が大事だとかって語ってる人は、

結局どっちも間違っているってこと。

人には人の魅力がある。

それが見かけによるものなのか、中身によるものか。

多くの人と出会うことで、その魅力を感じるセンサーみたいなのは高性能になっていく。

見かけも中身も大切で、人としての魅力を磨いていこう。

愚痴。

人は愚痴を溢す。

人は他人に自分の愚痴を聞いてもらいたがる。

それには2つの思いが込められてる。

ただ単に、自分の感情を誰かにぶつけるだけで、それを聞いてほしいだけの人。

悪く言えば、自分のストレスを発散させるはけ口に、他人を使う人。

もう一つは、愚痴を溢してそれに同情してくれる人がほしい人。

悪く言えば、自分は被害者だから可哀想だろって思ってほしい人。

愚痴っていうのは、自分一人ではどうしようもない。

愚痴も溢せる信頼出来る人がいるからって、楽観的に考えるのもいい。

でも、他人の愚痴を聞いて良い思いはしない。

自分が頼られているってとこに喜びを求める人もいるだろう。

でも、それは悪く言えば、利用されてるってこと。

ストレスのはけ口に使われているってこと。

どうしても愚痴を聞いてほしいって時はある。

それを誰にも言わず、ため込むっていうのは勿論良くない。

でも、だからと言って他人にそれをぶつけていいわけではない。

聞いてもらった人がそれのせいで、ストレスになるかもしれない。

つまり、愚痴ってのはストレスの連鎖に陥る。

出来れば、愚痴ってのはしないこと。

人に愚痴るぐらいなら、海などに向かって叫べばいい。

愚痴って、幸せになれるのは自分だけで、聞いてもらっている相手がそのまま、

愚痴を被るようになるということを忘れずに。