言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

復習。

復習って行為は小さい時から、しなさいしなさいと教えられる。

振り返りなさいって。

徐々にその言葉が変化していく。

反省を活かす、何ならフィードバックなんかも。

つまり、簡単に言う復習って行為は必要なことになる。

ずっと言われ続けるのだからそういうことなのだろう。

では、何で人生を振り返ってはいけないのか。

振り返らず、前を向いて歩いて行こう。

こんな言葉をよく目にするし、聞いたりもする。

何で振り返らないの。

前だけ向いて歩いて行くって行為がどれだけ愚かか知らないのかも。

人生なんて振り返ってなんぼじゃないかな。

だって、あの出来事があったから今の自分がいる。

そういう言葉もあるから。

それに胸を打たれる人がいるだろう。

今の自分を形成するのは過去の自分で、未来の自分はただの理想だろう。

振り返って今まで自分がしてきたことを受け入れる。

その先からしか前に自分は作れない。

過去をなかったことには出来ないのは当たり前。

過去を振り返ってみれば、今まで体験したことも経験したことも沢山ある。

それらを全部背負っていくしかない。

それが辛いモノでも、重いモノでも。

それを落として行くと、気が付けば復習せず行き当たりばったりになる。

落とさず行くしかないよ。

それが難しいから、人は人生を語り、人生の大変さに気付く。

それでも落とさずに。

後ろを振り返りながら、反省して、復習して。

もしも、落としてしまっても拾えるように。



理由もなく。

理由なんてない。

理由は何か絶対にある。

理由がないことはない。

理由もなく好きにはならない。

何かしらの理由があって好きになる。

好きなことに理由はいらないっていう人もいる。

理由はいるとかいらないじゃない。

あるかないか。

そして、人は何かする時にはそこに必ず理由が存在する。

無意識に行動するってのも、今までの経験が理由となって起きている。

理由をわざわざ考えろとは言わない。

でも、理由はないって口にするのはどこか違う。

そこには必ず理由があるはず。

それに自分が気付いているかどうか。

理由もなくなんてことはない。

理由から目を背けてはいけない。

経験。

人は年を重ね、自ら体験することによって経験を得る。

この経験というのはとても大きな力になる。

ただ、年を取り続けても経験ってのは身に付かない。

年寄りは経験豊富だなんてことはない。

年が若くても、様々な経験をしている人は多くいる。

それは、今までのお年寄りが経験したことがないことも含め。

逆に、今の若い人たちには経験できないモノってのはある。

つまり、経験に年齢は関係ない。

確かに、年を取り、その分野に置いて多くの経験を持っている人もいる。

でも、その経験が今使えるかは分からない。

経験ってのはとても大きな力になるが、時代が違えば案外役に立たないものである。

経験に頼ることは大いに素晴らしい。

頼れる経験があるのだから。

しかし、経験してしまったから受ける恐怖なんかもあるわけで。

いずれ受ける恐怖なら先にとは思わない。

過去にこういう経験をした人がいたから、今経験しようとしている人達が、

先に対応を知れる。

そういう面で、経験ってのは自分の為に使うのも勿論素晴らしいが、

これからの為に、経験を他人に授けるってのが本当の経験の良いところ。

しかし、その経験の授け方が武勇伝のようではあまり意味がない。

また、その経験が今の時代とずれていると反感すらかう。

経験の使い方ってのは、正しければ絶大な力を発揮するが、

間違った経験の使い方をすると、自分も勿論他人をも巻き込んだ悲劇になることも。

何でも経験経験って簡単に使っていると時に危ないこともある。

探検。

子どもの頃に探検をしたことはあるか。

時代が進むに連れて、僕ら世代は小さい頃に良く探検をしたが、今はそうでもないかもしれない。

それでも、探検っていうのはとても素晴らしいモノだと思っている。

そして、その探検ってのは成長していく中で、その機会が少なくなっていく。

それを生業にしている人たちは別にして。

探検ってのはしてみると、その魅力が分かる。

自分たちの知らない場所を、自分たちの足で歩いてそこに何があるか調べる。

それがどれだけ楽しいことか。

昔を思い返して、あの時は楽しかったなと思うほとんどが、

自分たちの力で何かをしようとしてた時のことではないか。

RPGのゲームはいくつものシリーズになって長年愛されているモノが多い。

それは何故かって、自分たちが知らないところを、自分たちの力で少しずつ少しずつ

進んで行って、レベルを上げたり、目的の処へ行ったりとそういった冒険や探検が

人は好きだからである。

ゲームでは危険が存在する冒険が主流だが、現実では冒険ってのは難しい。

だから、現実では探検をする。

旅行も知らない土地に行って、新しいことを発見したくなるだろう。

でも、その機会は成長すると少なくなるのは誰だって知っている。

だから、今一度その機会を作ってみればいい。

もう一回ぐらい、肩の力を抜いて探検に出かけるのもいいのかも。

極端。

極端に考えない方がいい。

物事を極端に考えるとやるかやらないかの二択になってしまう。

そういう考え方もあるかもしれない。

でも、何でもそういうことではない。

やるかやらないかじゃなくてもいい。

少しだけやるのもいいし、一度やってから辞めてもいい。

やらなくても、情報だけでも入れていたり、話だけでも聞くのでは違う。

極端に毛嫌いしたり、やりすぎたりしないのが何に置いてもいい。

丁度いい感じに何事もこなすってのが意外と難しいけど、そこを目指すのもいい。

器用貧乏って言葉はよく聞くけど、どうも良くないと思われがちだが、

傍から見たら、何事もある程度器用にこなすってのは凄いこと。

それで一芸がないから大成しないって意味かもしれないが、

一つのことで大成するのは誰がどう考えても難しい。

器用貧乏に何でもある程度こなして、自分の地を固めてから、

ゆっくり一つや二つを徐々に伸ばして行けばいい。

行動する時はどうも極端にやるかやらないかの二択を迫られると考える人が多い。

でも、中途半端な対応も時には必要になってくる。

極端な考え方は先と先の間を見失ってしまう。

唯一無二。

唯一無二。

唯一無二のモノって何か思いつくものがあるかな。

意外と唯一無二のモノってのは少ない。

そんな中、唯一無二の存在ってのはいるのか。

確かに人は一人一人違っている。

そういう意味では唯一無二なのかもしれない。

でも、その人が居ないと出来ないことなんて無いだろう。

つまり、代わりは居てしまうんだよ。

代わりなんていないって言ってる人は、そうであってほしいと願っているだけ。

実際は、代わりなんていくらでもいる。

誰か一人が死んだとしても、世界が止まらないのはそういうことなのかもしれない。

でも、人は自分は唯一無二の存在で在りたいと願う。

それを願うのは自由。

なれなくてもそういう気持ちでいるのは大切だろう。

そういう気持ちでいれば、少なからず何かに真摯に打ち込めるだろう。

なれないと分かっていても、唯一無二を目指すのが人ってこと。

何かで唯一無二を目指してみよう。

暇つぶし。

暇をつぶす時は何をしますか。

昼寝だったり、ゲームだったり、スポーツだったり。

「人生は暇つぶしだ」何て言う人もいる。

暇つぶしなんだから、楽しく生きようみたいな。

それが名言っぽく言われているのが、あまり理解できない。

それは確かに、そっちの方が自由な生き方だと思い、格好いいなと思う人もいるだろう。

でも、決して人生は暇つぶしなんかじゃない。

生きているってことの意味を見つけろとまでは言わない。

それでも、暇つぶしって表現は正しくはない。

暇つぶしが出来るのは、健康で何不自由なく生きていれる証拠。

何も刺激がない毎日に飽き飽きし、暇つぶしの繰り返しで生きている人生。

そんな生き方では確かに人生は暇つぶしなのかもしれない。

暇つぶしなんだから、楽しんだ方がいいだろう。

そんな考えは身勝手すぎるだろう。

確かに生き方なんてのは自由で誰に制限されるわけでもない。

でも、世の中には生きたくても生きられない人はいくらでもいる。

そんな他人のことなんて関係ないって言ったらそれまで。

でも、もしそんな人の前で、「人生なんて暇つぶしだよ」って言えるか。

何かをするか、何もしないか。

そこに大差は無いのかもしれない。

だから、どっちに生きようが意味なんてない。

そもそも人生に意味を求める必要はないだろう。

人生に意味を求めるのはお門違いってやつ。

意味がないと生きていけないのか。

なら、ほとんどの人が死んでしまうかもしれない。

暇つぶしだなんて浅い考えで生きるのはやめた方がいい。

それだけで自分の器の低さがバレる。

そんな言葉に感心ている場合じゃないよ。