言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

傍から見たら。

傍から見たら元気に見えるかもしれない。

傍から見たら落ち込んでいるように見えるかもしれない。

でも、元気に見えているだけで、その人は落ち込んでいるかもしれない。

落ち込んでいるように見えて、その人は元気なのかもしれない。

傍から見た印象と、その人が本当に抱いている感情ってのは違うかもしれない。

そう思うと、やっぱり内面を知らないと、その人のことはしれないということだ。

外見だけで人を見ても、そう見えるのは自分だけかもしれない。

内面を見て、やっぱりそういう人かってこともあるだろう。

見ただけではその人のことはほとんど分からない。

見ただけでその人のことを知った気になっている人こそ知ったっかぶりってやつだ。

相手のことを知るには、外から見て、内側まで見てまず一段階目。

そこからいかに相手の情報を相手から聞き出せるか。

どんな人も相手のことを100%知ることなんて無理だ。

家族であろうと、恋人だろうと、友達だろうと。

その人にしかわからない何かが必ずある。

でも、そこそこの割合に関する内容なら、そこから自分がどれだけ日引き出せるかによって変わる。

そこまでしていないのに、相手のことを知った気になって、相手を評価しない。

その評価は正当な物かどうかわからないけど、相手にも失礼だろう。

評価するのは勝手な話だが、曖昧な評価を付けると自分の所為でその人の評価が下がることも。

本当は大してその人のことを知っていないのに。

評価するのは自由だけど、相手を評価する時は、他の人もその評価を見てると思わないとだめだ。

傍から見ているだけで絶対的な評価は下せない。

でも、客観的な評価も必要不可欠だ。

そこのバランスを考えていかないといけない。

成長。

人は成長する。

成長を止めると、待つのは何か。

それは止めてみれば分かる。

誰が考えたって良いことが待っているわけがない。

成長ってのは何も頭とか身長とかそういうことだけじゃない。

人としての成長は死ぬまで続く。

常に老化していくって方の考え方もあるけど、それはまた別の内容だ。

成長したいなら、人はいくらでも成長することが出来る。

小さい子どもでも、年老いた老人でも、仕事に支配されている中年も、

遊ぶことに頭がいっぱいの若者も。

やるかやらないかの違いだ。

ほとんどの人はやった気でいる。

他人と比較する必要はない。

でも、人は周りが頑張っているのを見ると、自分も頑張れる。

周りの人が成長していれば、自分も成長しようとする。

なら成長するために何をしたらいいか簡単に分かるだろう。

自分がまず成長することを見つければいい。

そうすれば周りも成長してくれる。

そして、自分を追い越す存在が出てくる。

さて、前を歩いて成長している人は出来た。

後は自分がどれだけ成長したいかだけだよ。

いいもの。

良いものと悪いものがある。

人は本当に良いものと悪いものの違いを言えるか。

世の中には、良いものではないけど、良いものと言われるものも、

悪いものではないけど、悪いものと言われることもある。

正当な評価をされるものなんてなかなかない。

人が良いって言ったものは良い。

人が悪いって言ったものは悪い。

自分がそうは思っていなくてもそう言ってしまう時がある。

そうはありたくない。

その名前、ブランド、から勝手に良いものだと思い込む。

本当にそういう良いものを出していく所も勿論あるだろう。

それでも、自分はいまいちだと思っていても、世間が良いというと自分も良いと言ってしまう。

それはなんだ。

悪いものに悪いって言える自分。

良いものに良いと言える自分。

悪いものだけど、良いと言ってしまう自分。

良いものだけど、悪いと言ってしまう自分。

どれが正しいかなんて言うつもりはないが。

ほとんどの人は分かるだろう。

ちゃんとした評価を認めれる人になりたい。 

受け入れる。

人は受け入れるべきことと、受け入れるべきではないことを分ける。

その場で何かが起きてしまった時に、それを受け入れるか。

嘘だとか、何かの冗談かと。

その起きてしまったことを受け入れるのに時間がかかってしまう。

それをする意味はあるのか。

何かが起きてしまった時、それは受け入れるしかない。

それは絶対だ。

それを受け入れず、現実から目をそらすのは良い考えとは言えない。

でも、世の中には信じがたいことが起きる時もある。

そんな時でも、まずは受け入れる所から始める。

その後に受け入れたうえで考える。

受け入れずに考えるのと、受け入れてから考えるのではどっちがいいのか。

こうやって言われた時、ほとんどの人がどっちがいいのか分かるだろう。

まずは受け入れるしかないんだ。

そこから全てが始まる。 

許す。

人は何かやってしまった時、人に許しを得ようとする。

人はそれを見て、許すか許さないかの選択を行う。

ある程度のことが起きた場合は、普通の人は謝ったりしてもらえれば許すだろう。

でも、時にはその人が謝っても許せない人がいるだろう。

許さないからなんだ。

許せないからなんだ。

許せないことだからなんだ。

人を許すに必要な物は寛容な心だ。

それだけだ。

本当に許すことがあるかもしれない。

でも、そんなのは人生に一個あるかないかだ。

ほとんどのことは許すことが出来る。

それなのに許そうとする意志がない。

それでいいのか。

確かに、それほど嫌いな相手なのかもしれない。

でも、許せるなら許すのも本当の人としての凄さだ。



変えられる。

変えられるのは何か。

過去は変えられない。

未来は変えられる。

これは絶対だ。

みんな分かっている。

でも、それを知っているだけだ。

それを本当に理解してないと全てが過去になってしまう。

変えられる未来すらも変えられなくなる。

どんな未来も変えられるわけじゃない。

変えたいという意志がないと、未来は変えられない。

すぐに時間が過ぎ、過去に変わる。

人に言われて気付くのが早いか、自分で考えて気付くのが早いか。

または気付かず過ぎていくか。

どっちかは自分しか知らない。

変えられる未来を選ぶか、変えられない過去か。

選ぶのは自分しかいない。

忘れていく。

人は忘れていく生き物なんだ。

人は後悔をする。

人はしなくて後悔することも、して後悔することもある。

それも時間が経てば普通なら忘れることだろう。

でも、して後悔したことってのは意外とすぐに忘れてしまう。

しかし、しなくて後悔したことは何年も覚えているものなんだ。

そう考えると、して後悔するのか、しなくて後悔するのかどっちがいいのだろう。

出来ることなら、どんなことも忘れたくないだろう。

だから、しなくて後悔してずっと引きずった方がいいのか。

そんなはずはないだろう。

そんなもやもやした感情ってのはないに越したことはない。

だから、後悔しないように無理だけど、行動して後悔したい。

その方がスッキリするし、後々記憶から薄れていく。

それも薄れていくだけで、何らかの拍子に思い出す。

それがどっちの後悔の方がいいか。

みんななら分かるだろう。