比較。
人は人と比較したがる。
人に限らず、何でも人は比較したがる。
比較がしたいってことは、より良い方を見つける為だ。
人は進化する為に、何でも比較して上を目指す。
他にも比較する時が人にはある。
自分より劣っているか、劣っていないか見る時だ。
人は自分より劣っている人を探す。
少しでも自分より下を見つけて優越感に浸りたいからだ。
でも、本当はそんな人は今はあまりいないのかもしれない。
信じたいところだ。
でも、人はそれぐらい自分勝手に比較して人を見下す。
比較するのは大いに勝手なことだが、それで人の優劣はつけられない。
テストの結果で、テストで点数を多く取れる子とあまり多くは取れない子。
マラソン大会で、早くゴールする子と遅くてもゴールする人。
そんなんで優劣はつけれない。
確かにその競技や結果の中では優劣はつくのかもしれない。
でも、その優劣は大抵意味がない。
その優劣は自分との比較だ。
前回と比べてどうだったのか。
その一転のみ。
他の人を目標にして取り組むってことは意欲が出て良いことだが、
結果を比較するのはまた別の話だ。
比較する対象を間違えると人は落ちるところまで落ちてしまう。
期待。
人は何か起こらないかと期待する。
期待してひたすら待ちます。
人は期待して待ってる間は何もしません。
もうやり切った。
後は期待して待つだけだと。
だから、人が期待したところで成功していることは少ない。
本当に成功している人ってのはあまり期待しない。
期待している時間すら勿体なくなるからだ。
期待している時間があるなら次に必要になることを考えよう。
別にそこまで求めてない人は、しっかり腰を据えて期待して待とう。
どっちつかずが一番どっちにも転ばない。
期待するならとことん期待して待とう。
その方が期待したことが起こった時、最高に嬉しがれる。
期待しているその先があるなら、その先を見据えて準備に取り掛かっておこう。
どうせ期待して待ってるぐらいなら先を考えて動こう。
僕は期待して待ち続ける。
考えた結果、自分はそっちの方が合ってると思うからだ。
どうせ人それぞれなんだ。
気にせず待とう。
参考。
参考にすることってのは良いことだ。
他の人の良さを吸収するチャンスなのだから。
参考にするってのは何も真似をするってことではない。
物事のやり方には自分に合ったやり方がある。
誰かがやりやすいやり方も、自分にはやりにくいなんてざらにある。
だから、人の真似をすればいいってことじゃないんだ。
確かに、最初は真似することから始めることは大切だ。
しかし、あの人もこのやり方だからって、そのやり方を絶対やる必要はない。
だから、参考にするんだ。
やりながら自分のやりやすいやり方に変化させていく。
一つのやり方を自分の考え方と合わせて導く。
人のやっていることを参考に。
その中で、本当に必要なものは何なのか。
それを見つけ出すのもまた必要な力だ。
人がやっているのを、自分ならそこをああするなとか。
そういう目線で見ていくと、自分の成長は早くなる。
他の人を上手く使って、参考になる部分を見つけて自分の糧にしよう。
そうやって人は互いに参考しあいながら生きてきたんだ。
左右するのは。
人の人生は選択の連続だ。
人の人生において大切なのは決断力と判断力だ。
確かにそれらはとても大切なのかもしれない。
それら全てのことをする為に一番必要なのが勇気だ。
決断する時、判断する時に求められるのは勇気の量だ。
人は選択する時に勇気の量を試される。
そういう言葉を目にした。
本質はこれだと直感した。
結局は勇気の量次第だ。
どっちの選択するにしても、決める度胸次第。
自分が選択する時、自分の意見が少数の時に勇気を出して自分の意見を貫くか。
自分が選択する時、自分の意見が多数の時に勇気を出して自分の意見を貫けるか。
一つのことを続けることは根気がいる。
一つのことを辞める時は勇気がいる。
その選択に自分の納得する答えがあるか。
勇気の量を試される。
間違ってはない。
その選択が間違いだとか、正解だとかそんなことを言うつもりはない。
別に問題を出されているわけじゃないんだ。
その選択に後悔がなければ誰も責めない。
勇気の量を上げてこ。
良い日。
良い日だった。
そんな風に言って一日を終わりたい。
日々を過ごしていけば、当然辛い日も出てくる。
それをどう捉えるか。
辛いことがあったから、今日は良い日ではなかった。
そんな風に思う時もあるだろう。
むしろ、なかなか良いことなんて起こらないのかもしれない。
でも、それは自然と起こらないだけで、起こそうと思えば起こせるのではないか。
自分の力でいくらでも。
辛いことが一つでもあった日は、良い日ではないのか。
どれだけ小さくても良いことがあれば、良い日にすればいいのではないか。
その時に、良いことと辛いことを天秤にかける必要はない。
一日の終わり方っては、自分の自由に出来る。
なら、どんなに辛い一日だったとしても少し良いことを起こせばいい。
そうして良い日だったと言える日々を送りたい。
どれだけ辛い日々も、考え方次第で乗り切っていこう。
その先にある良い日を目指して。
文字。
喋っている言葉より、文章に書かれた文字の方が人に与える影響は多いのかもしれない。
人に言われる言葉ってのは、聞く耳を持たなければどうにでもなる。
しかし、文字で書かれた文字は違う。
確かに見ないでおこうと思えば、見ないで済むのかもしれない。
でも、見ないでおこうと思う文字をどうやって見分ける。
目を閉じて生活することはほとんどの人が無理だろう。
SNSなどで送られてくる文字に関しては、対策の使用もあるだろう。
見たくないけど、それを判断するためにも文字ってのは一度見て確認するだろう。
その時点で、良いことが書いてあればじっくり読むこともできる。
嫌なことが書いてあった場合、もう二度と見ないようにしても一度は見て嫌な気持ちになるだろう。
人が文字を読む時は、一度その言葉を理解しようと自分の中で声に出して読むだろう。
それだけで人に与える影響は大きい。
人が話す言葉ってのは理解しても、意外と深くまでは理解できない。
名言なんかは言葉で言われるより、文章に書いてある文字を見て影響を受けるだろう。
良い影響も悪い影響も文字の方が受けやすいんだ。
人が口から出る言葉ってのはもうそんな種類が多いわけでない。
口では何とでも言えるってのもある。
文字でも何でも書こうと思えば書けるけど。
SNSなんかで文字を打って、人に見られるとこに載せる。
それの影響って、直接言われる言葉より人によっては傷つくし嬉しい。
文字で形に残るってそういうことだ。
何でも書けばいい。
何でも自分の自由だ。
ってしたら、もうめちゃくちゃだろう。
その流れは止められないけど、流れを少しだけ変えることぐらいは出来るだろう
勇気。
勇気って言葉がある。
でも、みんな勇気って何か知っていますか。
聞いた人全員が知っていると言うだろう。
じゃあそこでもう一つの質問をしてみよう。
勇気を自分の言葉で説明してと。
そうした時、あなたはその質問に答えることが出来ますか。
僕は出来ない。
勇気って何だ。
よく勇気を出せって人は言う。
勇気って何だ。
あの人は勇気がある。
あの人には勇気がない。
勇気を調べてみると、ものおじせずに立ち向かう気力などというように書かれている。
人が認識している勇気は確かにそういうものなのだろう。
そういうことを質問された時に答えれればいい。
でも、それは咄嗟に答えようにもほとんどの人が出てこないだろう。
勇気は勇気だって。
僕的にはそれでいいと思う。
勇気ってのは人それぞれある。
人の顔もそれぞれあるように、勇気の形ってのはそれぞれ違う。
それは表わせれないものだけど、自分の中にはそれっぽい雰囲気の形がある。
勇気って簡単な言葉だけど、よく考えると深くていい言葉なんだよ。