言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

無理だよ。

君には無理だよ。

無理ってなんだよ。

何で、そんなこと人に言われないといけないんだ。

無理じゃない。

自分の考えだけで、相手の行動を制限するな。

人に無理だよって言うのはダメだよ。

やらせればいいんだ。

それで出来なかったら納得するだろう。

無理だよって無責任に投げるな。

他人がやってはいけないのは、人の夢をつぶすこと。

無理だよって冗談かもしれないけど、その簡単な言葉一つで人の行動は変わる。

気を付けよう。

相手に無理だよって言っちゃだめだ。

無理だよって言葉は思った以上に人に響く。

鏡の前に立って、自分に無理だよって10回ほど言ったら分かるよ。

それで何も感じない人は、いずれ周りから友達が減って行っちゃうよ。

それだけ無理って言葉は人に使う言葉じゃないんだ。

始めよう。

始めようか。

さぁ始めよう。

準備は万端だ。

最高のパフォーマンスをする前には、準備が大事だ。

行けるか。

自分の中で、一つ確かめる。

行けるかと。

それさえ確かめられたのなら、後は行くだけだ。

始めないと何も起こらないぞ。

始めよう。

毎回これなくしては始まらない。

始まったら終わりが来るまで続けられる。

終わりは見据えろ。

始まったら一歩ずつ前に歩みを進める。

その始めの一歩を踏み出そう。

今日も朝が始まる。

さぁ始めよう。

清々しい朝だ。 

対決。

不条理なことも、理不尽なことも世の中には沢山ある。

どんなに正しく生きようとも、理不尽の波はやってくる。

正しくってのは自分の意志を強く持つことだ。

意志ってのは、それほど大切なものなんだ。

目に見えない意志というものは不確定だが、それだけ影響は大きい。

いざそういう理不尽が襲い掛かってきたとき、自分の意志を貫き通せるか。

自分の意志ってのは貫き通してこそ意味がある。

そういった逆境に立った時、人は対決する。

自分の意志を曲げる必要はない。

頑固だとか言ってくる人には言わせておけばいい。

頑固ってのは強い意志のことだ。

そこに自分があるのなら構わない。

理不尽を受け入れるな。

受け入れてしまったのなら文句を言うな。

受け入れた自分がいるのに文句を言うのは違うぞ。

受け入れる前に対決するんだ。

そして勝ち取れ。

戦って自分を貫け。

さぁ対決の時間だ。

違う。

違う。

それは違うぞ。

君の答えは違うぞ。

その意見は違うぞ。

人の言ったこと、行動を違うって人は相当自信がないといけない。

人のことを否定したりするにはそれなりな自信と根拠がいる。

何も根拠なしに人の意見や行動を否定するのはしてはいけない。

それは頭のないダメな人の言葉だ。

そんな言葉ではどんな人も動こうとは思わない。

人の意見を正そうと思ったら、相手を納得できるぐらいのモノがないといけない。

人一人の意見を変えようというのだ。

生半可な意見では人の心は変わらない。

人を惹きつけ、人の心を変えれるその力がないとダメなんだ。

それがない人には人はついていかない。

政治家がいくら自信を持って発言しても、それらがない言葉には誰も興味を示さない。

それらがない人はまずそれを身に付けるところから始めないと。

学校ではそういう教育をしていかないと子どもは育たない。

勉強ってのは意外とそういう深層心理を学ぶことなのかもしれない。

人の気持ちを知る、変えることが出来る人は強い。

違うって自信を持って言える人は本当に凄い人だ。

それだけ自分の意見に自身も根拠も持っているんだから。

流されながらもその違うが一つ言えるだけで自分の存在というものの証明には必要だ。

こういう考えは違うかもしれない。

違うと思ったらいってほしい。

逃げ道。

自分に不利な出来事が起きた時、逃げ道を作っておく。

これは大切なことだ。

逃げって言うと、人は後ろ的な意味に捉えがちだ。

自分の逃げ道を作っておくのは賢いやり方だ。

逆に逃げ道も作らず、何かをしようなんて方が安直すぎる。

逃げることを恥だと思うことが恥だ。

逃げることがダメなのは、事故や犯罪を犯した時だけだ。

それ以外だったら、逃げることも一つの考え方だ。

人が逃げ道を作るのは、利口なやり方だ。

それを逃げ道作ってるからって罵倒されるのは違うだろ。

ルールに載っとった逃げは必要だし、恥じるべきではない。

鬼が追ってきたら、逃げるのが普通だろ。

いつ何時、鬼が攻めてきても逃げるよう通路を確保しておく。

それぐらいの頭がなくてどうする。

逃げを恥と思うな。

逃げを恥だと言うな。

逃げられたら捕まえろ。

話はそれからだ。

遠くから口だけで言っても、距離は離れていくだけだ。

逃げろ。

まずはそれからだ。

踏み台。

人を踏み台にするのはダメだ。

世の中にダメなことはいくらでもある。

人は多くの制限の中で生きている。

様々な禁止をされて生きている。

それは国というものを守るためだ。

しかし、禁止されていることとは別に人としてやってはいけないことがある。

単純に人としてってやつ。

道徳心だとか、人の良心とかが試されるやつ。

その中で、人を踏み台にするのは特にダメだ。

やってはいけないことなんだ。

別にこれは禁止されているわけではない。

そもそも踏み台っていう例えの表現なんだ。

人を踏み台にして、高くにあるものをとるわけではない。

人を踏み台にして何かを成し遂げようとする。

それは人が上に昇るためには必要かと思われがちだが、決してそうではない。

人を踏み台だと考えること自体あってはならないことなんだ。

もう少し広く考えろ。

人が上に昇るのに、人を踏み台にする必要はあるか。

目の前にある階段を一緒に昇っていけばいいだろ。

早まるな。

それしかないなんてことはない。

いくつもの選択肢がある。

その中でベストを見つけろ。

人を踏み台にするのがベストなわけはない。

それがベストなら、国は王様がいて絶対王政になってる。

戻る。

人の発する言葉の中には嘘が存在する。

行けたら行く。

こういう言葉を誰しもが一回は使ったことがあるのではないか。

自分も勿論使ったことがある。

一回どころではない、何回も使ったことがある。

それの真意は人それぞれかもしれないけれど。

ほとんどの人の行けたら行くは、端から行く気は毛頭ない時に出る言葉だ。

はっきりと断るのは悪いが、行きたくもないって時にこの言葉は多く使われる。

後から戻るって言葉がある。

人が言う後から戻るは意外と信用できない。

信用できるのは、走れメロスに出てくるメロスぐらいだ。

戻る気がない時、後から戻るから今は行かせてくれと。

あのセリヌンティウスですら、一度メロスが帰ってこないのではと疑ったぐらいだ。

人は人の言葉を信用してはいけない。

人は人の言葉を疑わなければならない。

戻ると言われたら、戻ってこないと思うべきだ。

人は信用するよりは疑った方がいい。

それぐらい疑い深く生きて行けば、道端に落ちている石に躓くことはない。

しかし、その生き方はめちゃくちゃ生きづらい。

おすすめは絶対に出来ない。

でも、人は信用すべきかどうか。

それに関しては、もう少し良く考えてから動い方がいい。

あとあと相談を持ってきても知らない。

起こってからの相談ほどどうしようもないものはない。

時間は戻らない。

戻れるのは、その時の記憶だけだ。