言葉で世界は変えられる。

見てくれた人に何か考えてもらえたら。

言葉にする。

言葉にするべきモノと、言葉にするべきでないモノがある。

伝えたい気持ちってのは、出来るだけ言葉にしたいだろう。

しかし、伝えるべきで無い言葉は言葉にしない方がいいだろう。

言葉にするのは当然自由。

そこに、ブレーキを付けれるか、付けれないか。

何が言いたいって、悪口ってのは言わないに限るだろう。

悪口を言っても、何も平和なことは起こらない。

悪口を言いたい時ってのは、人間誰しもあるだろう。

そこで、自分にブレーキをかけて言わないか、我慢出来ずに言ってしまうか。

何回も言うようだけど、それは自由。

絶対言うな何て言えない。

でも、言わない方が平和だってことは誰にでも分かるだろう。

それを溜めるのがストレスっていう時は、もう少し気持ちを抑えて感情を遮断しよう。

そんなことしたくないって人は一度ぶちまけてみるのもいいかも。

それが吉となるか凶となるかは言葉にするモノ次第。

言葉は自由だけど、使い方は間違えないように。

言葉の重みってのは、自分が思っているより重い。

過去。

過去に行きたいって考えた人は多いのではないか。

それだけ過去に後悔したって人が多い。

でも、勿論タイムマシーンなんてっモノはない。

それでも過去に戻りたくなるときってのはあるだろう。

あの時ああしとけば良かったって。

過去に未練は残るもの。

それは全て正解を出して生きてきた人なんていない。

過去って大事なものだよ。

自分を語るのに過去がないと、何も喋れないだろう。

未来を語るには今までの過去を考慮して、考えて作っていけない。

未来だ未来だっていう人は過去を疎かにしてしまう。

過去だ過去だっていう人は未来を疎かにしてしまう。

過去も未来も繋がっているのは当たり前。

そもそもそういうのを分けて考えてはダメだ。

点と点で考えずに、一本の線で考えようってことだよね。

醜態。

醜態を晒したい人なんていないだろう。

でも、世の中には醜態を晒してしまう人が多くいる。

醜態を晒す時、晒してしまう人は、自分がそんなことになっているとは思わない。

晒してしまった後に、周りから醜態だと言われる。

醜態を決めるのは他人の言葉。

自分の周りのことに関して決めるのは、常に他人。

他人が勝手に考え、イメージが作られる。

そのイメージはなかなか振り払われない。

一回醜態を晒してしまうと、そのイメージが永久に付きまとう。

そうしないためにも、醜態は晒さないようにしないといけない。

じゃあどうすれば、醜態を晒さずにすむか。

醜態を晒さないように気を付けるしかない。

この記事を見てもらって、醜態という言葉を身近に置くしかない。

そして、晒さないように気を張るしかない。

それしか方法はないんだよ。

能力。

自分の能力を疑うのは良くないよ。

もっと自分の能力に自惚れていいんだよ。

もっと自信を持って。

自分の能力はこんなモノではないよ。

まだまだ自分には出せてない力があるんだよ。

それを引き出せるのは自分のやり方次第。

他人には自分の能力は分からない。

必死にその能力を探して、使っていくのが自分の幸せになっていく。

能力ってのは、人それぞれだと言うけど、そんなことはない。

人の能力ってのは意外と似たり寄ったり。

それの活かし方ってのが人それぞれなだけ。

それを活かせない人が、人の才能を妬む。

それを活かせる人が、成功を収める。

もっと自分の能力に自信を持とうね。

言いたい放題。

言いたい放題言う人はいる。

言いたい放題言う人ってのは、それに関わりがほとんどない人が多い。

ほとんど知らない人が言いたい放題言ってくる。

そういうのが一番心に来るだろう。

何も分かってないような人に言われるのが。

ちらっとその情報を聞いた人が言いたい放題に自分の考えを言う。

それが悪い悪くないってことではない。

それを発言したことで何が変わるのかってこと。

関わりない評論家気取りの言葉ってのは、人を苦しめる。

それは当事者に関係なく、それを聞いている人もいい気持ちにはならない。

そういった人たちが何を批判、肯定しても意味がない。

ただのがやに過ぎない。

それを自分の意見がさも多数派の言葉かのように喋る。

そこに意味はないだろう。

あなたが批判しようが何も変わらない。

あなたが肯定しようが何も変わらない。

その当事者たちと関わりのない人達は自由に何も考えずに、自分の意見だけを投げるだけ。

投げたら投げっぱなしで。

言いたい放題言うのは勿論自由に決まっているが、

本当に自分の単純に考えた意見を言っても何も変わらない。

ただ関係ない人の戯言にすぎない。

もう少し、意味のある発言をしてくれないと。

外から言うのは誰にでも出来る。

内から言うのは難しい。

内で起こっていることにとやかく言っても、何も変わらないものだよ。

一緒。

格好つけます。

それっぽいこと書きます。

空と人生ってのは一緒。

空には色々な顔がある。

晴天であったり、雲がかかっていたり、雨が降ったり、雪が降ったり、雷が鳴ったり。

多くの人が晴天の空を見上げたくなる。

曇天だとあまり気分が乗らない。

雨だと悲しみが零れる。

雪は人の気持ちを高まらせる。

雷は人に恐怖を与える。

人生ってのは、そういう変化が存在する。

晴天のような、とても晴れやかな気持ちの瞬間もある。

曇天のような、一人になりたい、少し考える時間が欲しい瞬間もある。

雨のような、涙を流したい瞬間もある。

雪のような、小さいものが積もることも、雪景色のような幻想的な瞬間に目を奪われる時もある。

雷のような、恐怖に怯える瞬間もある。

空と人生には共通していることがある。

それを表現した時に、人ってのは簡単に共感する。

あぁ、一緒だなと。

もしも。

もしも~があれば。 よくこんな他愛無い会話をする人もいるだろう。 実際に起こり得ないであろうことに関して、どれだけの熱を持って話せるか。 もしもの話を熱く語れないような人にはなりたくない。 どんな小さなことでも、どんなに大きなことでも、起こるかもしれない可能性は捨てない。 その方がロマンがあっていいじゃないか。 それに対して、そんな夢ばかり見てって言葉で中傷してくる人にはなりたくない。 そんなロマンも持てない人に何が出来るのかって話だ。 誰しもが一度はしたことのある、もしも話ってのは、本当にその人の本性が出る、 とてもいい話題になる。 だから、もしも話題に困ったら、もしも話を持ち掛けてみるといい。 そして、各々のロマンを語ればいい。 そのロマンが人の器を大きくする。 ロマンを求めなくなったら、あなたは何を求めてるの。 人間なんだからロマンを求めないと。 いいんだよ求めて。 だってそれこそがロマンだろ。